回廊にて。

2011.02.28.Mon.07:37


 昨日営業終了後、経営戦略会議を設けるため(嘘です)、馴染みの喫茶店[回廊]へ。

 こちらのマスターは、出しゃばりすぎず、寡黙すぎずという、喫茶店のマスターの中でも理想的な佇まいのお方だ。自分の父親よりも年齢が少し上だとは思えないほど、若々しい。我々若造から、阪神タイガースの未来を語るおっちゃんまで、丁寧に接客している。脱サラしてはじめたというこの喫茶店のお話、経営ということについてのあれこれを、店を始める前に聞いた。昨日もあれこれ。


  [回廊]は、SOU・SOUさんの近く、2階にあがっていくお店です。(京都府京都市中京区新京極通四条上ル中之町)昔ながらの喫茶店という趣。読書が似合う。最近頼んでいなかったが、ケーキセットのフルーツの盛りがすごいことになっているらしい。なんでも「これ一皿で、一日分のビタミンCがとれる」(マスター談)とかなんとか。

 「なんでも楽しんでやることですよ。」
 そうですね。





  同じ日の昼間、久しぶりにつまらない本を読んでしまう。雑食なので、本を読んでいてそう思うことは滅多にないのだが、「うーん、つまらない」と途中で閉じてしまう。ペダンティックでかつ中途半端な文章だった。昔から(自分にとっての)その種の人間をすぐ察知してしまうので、そうなるとその先というものがない。本屋としては知っておいたら参考になるだろうに、というテのものだったが、この(本、に限らず)「役に立つ」「損をしない」という動機で何かをする、というのが自分にとって最も嫌な考え方であり、またその考え方を確認することを思い起こさせた、という意味で読む気がしなくなった。

  しかし、こういうペダンティックだなと思わせる人と、例えばSの書のT井さん(まるバレですが…)のような人との違い(自分の中で判断している感覚)は一体なんであろうかと思う。
言葉の、内容の拡がり方か。






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