想新宿。

2011.02.24.Thu.09:00


晴れていたら、朝必ずする作業。読書用椅子と荷物入れの天日干し。001_convert_20110224021837.jpg



 今日こそ、砂の書の寺井さんから又借りしているマカヴェイエフの「スゥイート・ムービー」を観よう、と毎日思うのだが、毎日実行出来ていない。この前、古本フェスで購入した本も半分くらいしか読めていない。販売用の本も、それが日本語で書かれているのか、英語なのか、重要な部分がアラビア語で書かれているという可能性だってあるわけなので、書込み・傍線チェックも含めて、一応ぱらぱらめくる。すると内容もちょっとくらいは知っておかなければ、などと思い読みだす。こうなると早く店頭に並べたい一心で、元々読みたい本は後回し、だ。

 一昨日は戸川昌子の短編集の表題作を読む。思わず手にするのをためらってしまう官能小説のような表紙だが、ま、実際そういう情景も多いのだけど(メインではない)、設定がなかなか面白い。派手な髪のおばさん、というTVの印象でしかなかったのだが。

 今はこれまた販売用「愛と憎しみの新宿」(平井玄著 ちくま新書)読書中。大学生の時、平井さんのマス講義を 受けていたのだが、著者近影をみて「あれ、なんか若返っているような…」という感慨?を覚える。1960年代極私的風景の新宿。若松孝二のことを語っているあたりは、興がのっているように思う。史料としてよりは、回想録の趣が強い。





 Y家の先祖代々のお墓は、東京某山手地区にあり幼少期より何度も訪れているのだが、特有のイケスカナサというのかハイソ感みたいなものがあって、一地方で生まれ育った身としてはなかなか馴染めない場所である。学生時代に足を踏み入れたことは一度もない。(その近辺の東京のシンボリックなものがそびえたつ場所は、まあまあ行った)
 しかし新宿という街は好きだった。新宿まで電車で5分、徒歩30分という場所に住んでいたので、よく歩いていったものだ。職安前から歌舞伎町、そのまま駅東口方面に行ったり、花園神社の方に廻り込んだり。お金は無いので、ただ徘徊するだけではあったが、何とも言えない(是とも否ともいえぬ、或いはそれら混濁した)底知れぬエネルギーを感じるのが好きだったのかもしれない。



 新宿三越裏にKというバーがあった。大学一回生の折、現代美術の講義を担当していたO教授が、そこに私ともうひとり年齢不詳のお洒落なお姉さん(短大卒業後中途入学)を連れていってくれた。
 学校の正門前で待ち合わせてタクシーに乗る。JRなら、自分のところからなら130円なのに、と私は思った。小雨がぱらついていたからか。明治通りと新宿通りの交差した少し先で降りる。そこから歩いてすぐのビル。地下への階段は狭かったことを覚えている。
 お店は文壇バー、というほどの格式ばったところでもなければ、お洒落に酒を楽しむという雰囲気でもなく、一見さんは入りづらそうな、業界(美術とか出版とか)人向けといった趣であった。しかし経営は、素朴な御夫婦でされている。カウンターのみで5、6人も入れば精一杯だ。

 「うまいんだよ、卵焼きがね。」行く前に教授はそう言った。「そのお店がおいしいかどうかは、卵焼きを食べればわかるんだよ。」

 ガウディをはじめ、スペイン美術を専門とするその丸々と肥えた体躯に、眼鏡をかけ髭をたくわえた丸顔の教授が、学生時代理工学部から文学部に転部したこと、当時は金のネックレスなどをつけてかなり浮いていたことなどを知ったのは大分後になってのことだった。

 「あれはね、瀧口修造のオブジェ。」指さされた先には、小さな四角い作品が飾られていた。

 覚えている。バーの薄暗さ。次々と注文され、出てくる料理。最初に頼んだ噂の卵焼きは何品目かだった。クドウテツミデ、ソツロンヲカコウトオモッテイマス。だから60年代の匂いをかすかに感じるこのバーへ先生は連れて来てくれたのか。「ここはね、なかなか人を連れてこないんだよ」「じゃあ、私たちは特別ってことですね。」とお姉さん。「そうだよ。見込みがあるってことだよ。」お酒がはいり、饒舌な教授。私は時折オブジェをちらと見遣る。瀧口は何も言わない。覚えている。後ろで、女優Mと思われる人の低く話す声が聞こえていた。覚えている。教授とお洒落なお姉さんの間で、縮こまっている18の私。お姉さんは煙草を吸っていて、それがメンソール系だったこと。先生が飲むお酒の一升瓶の厚みがいいな、と思ったこと。お店にいるのに、タクシーの中からみた新宿の夜のネオンの流れ方が素敵だったな、と思い出していたこと。「もう十年くらいしてさ、『あたしゃ昔、O先生に連れて来てもらったのよぉ』ってくだまきながら来なさいよ」といったママの言葉。その十年は、とっくに過ぎた。


 私の記憶に間違いなければ、Kは新宿駅東口三越裏付近のビルの建物の地下にある。何年かして探してみたが、まったくそれらしい店はなかった。少し範囲を広げて探しても、それらしい場所は見当たらないのである。上京の折につけ、くまなく歩いてみるも、やはりわからない。ネットで検索をしても出てこない。Kという名前は、覚えちがいなのか。

 まるで狐につままれるが如きの思いだが、はてあれは、神楽坂は赤城神社のお膝元で育ったと云う教授が、本当は境内社の出世稲荷神社のお狐さんの化身であったのかしらん、などとも疑われてくる。
 ただただ、卵焼きの色艶かたち、さらりとほどけた食感を残して、いまやそのバーは私の記憶の域を出ない存在となってしまった。
 
「そのお店がおいしいかどうかは、卵焼きを食べればわかる」
私の口癖は、新宿の記憶の産物である。



2月28日(月)は、お休みいただきます。


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