雑記。或る商店街通りのこと。

2012.01.05.Thu.06:00

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本の上に止まっている。おそらく香立て。多分京都でも買えるがおもわず購入。


 校門を出て家とは反対の方向へ自転車を走らせる。大きな川を渡り街中にはいって、画材屋をのぞいた後、大通りを渡って商店街へむかう。
 商店街の入口には丸善があって、少し歩いて通りを横にそれると紀伊国屋書店があり、高校生の時分には、この二つをよくハシゴした。実際に本を買うのは、むしろ通学路にある本屋であったし、いいなと思うものはやはり手が出せない値段であったので、専ら見て廻るだけであったが、「まだある」と在庫を確認しながら、その確認したものが頭のリストに増え、こぼれ落ち、を繰り返しながら、いつか手にしたときの楽しみを出来るだけ減らさないようにと、確認のようにたまには手に取るものも、見るとはなしに見るといった具合であった。
 今はファッションビルの上階に移動して、昔日の面影微塵もなしではあるが、かつてビル一棟ごとがそうであった頃の紀伊国屋の方が丸善よりも好きであった。新宿の紀伊国屋に初めて行ったときも、行き慣れていたせいもあるかもしれないが、こちらの充実ぶりを何とはなしに思ったものである。棚をつくっていたという印象はまるでなく、つめられるものをつめているといった棚であったように記憶しているが、技巧にはしっていなかったのが、当時の自分には却って良かったのだろうか。欲しかったマイナーな雑誌もバックナンバーまで揃っていて、「そのうちいつか」と思っているうちに、店は移動して様変わりしていた。

 その紀伊国屋へ丸善からは商店街を通っていくのだが、年々通るたびに、奥へと歩を進めるほどに、しけっぷりのひどさを感じる。古くからある店は押し黙り、新しく進出した店ははしゃぎすぎていて、その対照性が際立っていくほど、商店街はちぐはぐの様相を呈する。道幅の広さ、天井の高さがよくないほうに作用すると、こうも薄ら寒く感ぜられるのかと思う。
 昔憧れていたり興味を持っていたけれど、例えばお金がなかったり制服姿で気後れして入ることをためらわれた様な店に、今なら(店側がお客としてふさわしいか認めるかどうかは別として)入ることが出来るのだけれども、大人になりすぎたのか、趣味性が変わってしまったのか、当時とは違う理由で外から眺めるだけの店が何軒かある。通りのしけた感じが懐かしさを刺激しないので、毎度毎度少し歩みを遅らせて通り過ぎる程度である。それでも「まだある」と確認し安心に似たものを得ようとしている心理は、大袈裟ではあるが朽ちつつあるものを前に為すすべなく見ている、しかもそれに対してある種の悦び/快を感じているようなもので、始末に悪い。
 しかし私は駅前の華やかな場所よりもこの通りのどうしようもなく始末の悪い滑稽な哀しさを覚える雰囲気が好きであるし、そのうち裏通りのような風情を醸すのではないだろうかという懸念を持ちながら、それでもなお商店街の名称に「表」とついている、そしてそれを固持していくであろうこの商店街の通りを何度でも歩いてみたいように思う。


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電線密集。大男のためのハンモックでも作る気か。



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