石に熱の内在せる。

2011.12.02.Fri.11:00
 
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 色々な意味でうすら寒い店であるのと、私が寒がりなので冬場にカイロというのはかかせないのだが、普段は2種類を使用している。ふたつとも同じ会社がつくっているが、右のほうはいわゆるプライベートブランドのものなので、1枚あたり10円程安くはなるが、熱温度持続時間も2時間ばかり短い。貼る時間や予定によって、使い分けるのである。
 しかしぎこちなく冷めた使用後のそれをゴミ箱に棄てるとき、思い出すのはいつも「石焼」のことである。

 「石焼」は、文字通り石を焼いたものである。大人になって色々な人に話を聞いてみたところ、誰も知らないというので、二十年以上前の、それでいて私の通う小学校の中でという局地的な流行であったのだろうか。
 朝の登校前、石油ストーブの上に石を置いて暖めておくというシンプルな作り方ながら、欲張って時間をかけてしまうと全くつまみあげられないし、逆に時間が足りなければ、暖かさの持続力を欠いてしまう。「熱っ!」と言って、そのあと指先を少し振ってしまうというぐらいがよいのだ。それをハンカチにくるんで服のポケットに入れ、30分弱の通学時間をしのぐ訳だが、私はものぐさであったので直接石を入れて、時々触ったりしながら「今日のはうまくいった」「足りなかった」と思ったりしていた。

 学校に行けば行ったで、昼休みと下校前の時間ともなれば、ストーブの上にめいめいの石が並べられる。形も大きさも様々で、時には皆のが載りきらない場合もあった。ストーブの周りを囲んで暖をとりながら、皆一様に自分の石を眺めている。たまに、「どれでもいい。同じ石じゃないか。」とばかりに、自分が持ってきたものと違う石を持って帰るのがいるので、石に執着のある私のような子は特にじっと自分のを見張っていたのである。
 石は石であれば何でもよいというわけではなく、できるだけ表面が滑らかで平べったく、しかし適度な厚みがあるというのが理想的であった。そしてそれは、よく黒っぽい色をしていた。石は大概、登下校中や校庭の端っこなどで探すのだが、理想的なものはなかなか落ちておらず、時々誰かがその理想に近いものをストーブの上にぽんと置いたりすると、自分のものがかすんで、そちらに心が奪われたりしていた。

 中学に上る頃には、石焼をしなくなった。それがカイロに取って代わった、というわけではなく、ほとんど目覚めている生活の中で、体温の変化を感じなかったのもあるかもしれないし、思春期特有の怒りといったようなものが全身を駆け巡りはじめ、常に発熱状態にあって寒さなど二の次であったのかもしれないが、まあこれは少し言い過ぎであろう。


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『THE MODERN BOOK OF MASSAGE』
著者:Anne Kent Bush  写真:Patric Harbron
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スレあり、ペーパーバック。

外国語は理解できないという私のような人間でも、写真を見ればなんとなくわかるようにはなっています。この本の写真のモノクロの色調は、自分の撮るものとは全然違うのですが、かなり好み。写真集として捉えるのもありかと思います。
折々で、鈴木大拙やヘレン・ケラー、ワーズワースといった著名人の言葉の引用も。

冒頭に「ダライ・ラマと彼の平和活動へ捧ぐ」とある。
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