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Can。

2011.04.01.Fri.18:35
「Soon Over Babaluma」売り切れ

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ドイツのロックバンド、カンのスタジオアルバムとして5枚目のアルバム。オリジナルリリースは1974年。

 ややレゲエの趣きもある1曲目、ラテンな香りがする2、3曲目、4曲目は11分11秒!(何か狙ってるのかな?)と表示の長めの曲ですが、パーカッシヴでトライバルな(こんな形容しか出来ない語彙の少なさに…)テクノトラックを人力でやっているような印象、そして最後の曲は一転して、どよ~んとした感じの曲調で完。

 シュトックハウゼンの門下生2人を含め、出自がそれぞれ面白い人達で構成されたバンドで、60年代後半~70年代前半を代表するロック・バンドの一つと言ってもよいかと。
 去年にカンの良さを知ったぐらいなので、この辺りの時代のドイツのグループについてはまだまだ勉強中ですが、クラフトワーク、クラスター、ファウスト等面白いグループが多いです。



 
 
 

 当然私が知った最初の音楽のカンと言えば、カンはカンでもKANでした。残念!(古っ!)




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それはシニカルな表情をたずさえて。

2011.04.02.Sat.06:00
 年度始めの空気というものを強く感じていた昨日。独特の、しかし触れがたきものでもない緊張感が、通りに満ちあふれている。そういえば、近所の桜のつぼみも心なしかふくらんでいたような気がするが、世の空気を吸い込んでいたのか。




 例によって配信野球を楽しんでいた午後、それは郵便受けにこっそり到着。



 山坂書房さんより、製作をお願いしていたショップカードが届く。
                

 自分たちでは考えられないようなものを作ってもらえるので、こういう他人まかせは楽しいと思う。(勿論この人なら、という確信のベースは必要ですが)今回は完全丸投げ状態で、私が発した言葉と言えば「あー、もう全部おまかせします」と、経過に対する「OK」の回答だけである。

 完全自前でやっていただいたので、当然枚数は少ない。紙とインクの相性や性質上、均一ではないけれど、一枚ずつ少しづつ違って良いのではないかと思う。限りがあるので、丁寧にバラまきたい。(前のを持っている方、即刻捨ててくださいませ)

 裏面の色合い含め、こっそり営業している感が出ているのがいいなあ。別にこっそりしようという意図はなく、単純に営業下手なだけなのだが。
 山坂さんにいわせると、表のこのイメージは「シニカル」なのだそう。一応意図を聞いたが、成程素敵、と思ったのでOKとした。日常には、多少の毒も必要だ。詳しくは彼らにでも聞いてください。



『山坂 第5号』の発行に向けてお忙しい中、製作いただき誠に感謝、な話。

土地第二集 今こそ、「土地」を思う。『掌編漫画誌 土地』(秀作揃!)発売中! 


 
 ちなみに今更ですが、店名の「あり」は「蟻」ではないのです…。ま、どうでもいいことですが。




4月4日(月)は、お休みです。

しょうもない雑感。

2011.04.03.Sun.13:00

 来る時、どうも自分の歩き方が「おっさん風」だな、と思った。多分、前を歩いていた男性の方がキレイに歩いていたから、余計自分の歩き方が気になったのかもしれない。
 と思っていたら、朝からミス花子「河内のおっさんの唄」が脳内ループ再生されていたので、気分が勝手に「おっさん風」であったのだ、と気づいた。河内のおっさん再生率は、実は意外に高い。
(こちらフルです→http://www.youtube.com/watch?v=WveyABZ8rcc&feature=related

 さっきYouTubeで確認したところ画面に(出演者豪華~と)くぎ付けになってしまい、スピーカーから配信野球の実況(本来は音量ミュート状態にしている)、BGMのサティ(高橋悠治)、この唄とが混ざって、とんでもないカオスな世界が拡がってしまった。


 しかし高校野球、縞×縞のチームが戦うと、画面で見ている分にはなんとなくつかめるが、球場ではなかなか追いかけるのが大変だろうなぁ、などと思う。



☆明日は、お休みです。



昨日、砂の書で。

2011.04.05.Tue.08:57
  野球中継が始まると試合をみたいので、必然的に試合のない月曜日以外で休日をとろう、となる。
しからば土日月事務所開放の砂の書に、私はこの月曜にしか顔を出せない。今年は、まだ一度も御挨拶をしていなかったのだ。しかしひとりで行く分には、意気地がない。
 そこで恥を忍んで、ついてきてもらえるようKにお願いし、向こうの仕事あがりに店内待ち合せをすることに。


  丁度一年前くらいに、はじめて古ビルの階段をあがった。その5階に存在する書肆砂の書のことを、もう何年も知っていたけれど、その日歩いているとき「今日こそあの店に行ってみよう」と決めたのだった。

 階段をのぼりながら、こういう人間がいるわけだし、そりゃウチの店も知っていてもなかなか来店しない人も結構いるに違いないなどと、都合いいように考えてみたりする。

   到着して、新年?の御挨拶。寺井さんは、発送・事務作業等で色々忙しそうにしておられた。欲しい本があったので確保。興味のあるものを立ち読み。

  その後、寺井さんが一段落されたので、音楽、文学色々なお話をいただく。昨日は噂の「切り札」というカードゲームまで教えてもらう。(大富豪に似たゲーム。私は単純回路の持主で、少しでも複雑になると覚えられない為、見学のみ。でもカードは可愛らしいので欲しい。砂の書で販売中。)

  最初私は久し振りゆえの緊張もあったが、いつの間にか消え去っていた。うーむ、寺井さんマジックか。
 営業時間を大幅に超えて滞在してしまい、二人で反省しながら帰路につく。いつものことだが、お仕事の邪魔をしているようで、心から申し訳なく思う。


  ところで砂の書には、はじめて私が行った時からずっと置いてある本がある。私がそれを覚えているのは、それらの本を欲しい或いは興味があるからということに他ならないからであるが、所謂ところの「売れ残り」なのか、「お店としてきらさないように置いている」のかは判らない。しかし、それらがあるということで、何だか安心する。(早く買いなさいよ、な話ですが…)

  私は気になるそれらを、いつか買うのだろうか?
 いつか買うのかもしれないし、買わないのかもしれない。(こたえを求めず)疑問形のまま存在させる問いかけというものもあるのだ、と教えてもらったのはいつだったか。

  「いつまでも同じ本がある(or残っている)のはがっかり」「本が動いていないのは…」という言葉や、別の古本屋さんが「総入れ替えをする」という話を聞くと、店主の立場としては少し焦る。
  しかし万年埃がかぶったような状態は困るが、個人的には棚があまり変わっていない(実際に商品が動いていたとしても)というのは、心の深い部分に馴染みの層が形成されていくようで快感である。大阪でよくのぞく小さな古本屋もこの理由だ。「真ん中の棚の上段右端に鎮座する稲垣足穂」などと確認すると、やっぱりいいなと思う。
  お店の雰囲気を形成するのは、店主の個性、内装などもあるだろうが、商品に限っていえば、よく売れる傾向のものもさることながら、実はしぶとく居座り続ける古株たちであり、それらが新参者(新入荷分)との衝突/相互作用で生み出すグルーヴだろう。居座り大いに上等、である。

  時に何か思いつめたようにその商品が気になりだし、次に訪うと彼がいなかった日には、いい人のところに行ってしまったのねと、恋に破れてしまったかのような気持ちになる。
 出会ったその日に落ちる(購入する)ものもあれば、自分の中で疑り深く探って到達する思いもあるので、ものを買う行為は、感覚としては恋に似たものかもしれない。
(ま、でも貴重な古本に関して言えば、出会い時が買い時であるとは思います。)


 と長々書いてはみたものの、本に限らず気にいったお店に行きたいだけの、単なるこじつけであったりするのかもしれない。
 なぜなら、レイアウト能力のなさもあって、自分はしょっちゅう棚を動かしているのだから。







とりあえず短く雑記。

2011.04.05.Tue.23:37

  昼過ぎ、暇すぎて屋上でサボっていたら人影。御来店はOKABARのTさんが、超ピンポイントで、私好みの本を売ってくださった。気にしていただき、ありがとうございます。


  夜、例のショップカードを置いてもらうため、喫茶店[回廊]へ。マスターと時世、情勢の話など。カードのイメージががウチのロゴと似ている、と言われる。(いちゃもんではないと思う…)しかし、夜の喫茶店というのはいい。金額的にはそれほどでもないが、贅沢な気分だ。

…と、出来るだけ見栄坊の精神を貫きたい時代。



 ところで前回の文章、誤字・脱字だらけで赤面ものだ。(直しました。5~6箇所もあった!)もともとなまけ体質だが、機械に対してまで発揮されると、いかがなものかと思う。何も考えていない証拠で、今日など朝ご飯を食べたことをすっかり忘れていた。







私の好きなショウヘイさん。

2011.04.07.Thu.16:41
(本日引用多数の長い感想文となっております。無駄に時間を過ごされたい方だけどうぞ。戯言満載!!)



 あれよもなく、あっという間に花開いて、桜の季節。

 個人的には葉桜の頃が好きだけれども、満開の桜の情景描写で一番好きなのは、小説『花影』である。(私は未見だが池内淳子主演で映画化も)
 あまりにも入れ込んだので、普段は絶対にしないことだが、探しまわって(何故か文庫がなかなか見当たらなかった)購入し、人に「読め読め」と勧めていたこともある。「お勧めの本は?」と尋ねられたら、この『花影』と、ユイスマンス『さかしま』のセットで勧めていた時期も。(今更だが、なんだこの組合せ)


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…目前の風景とはなんの関係もない、吉野の桜の映像が不意に浮んだのは、なぜだったろうか。三年前の春、京都大阪へ講演旅行をした帰りに、奈良で待ち合せて、寺を見て廻り、翌日吉野まで足を延した。
 それが葉子のいっしょの、たった一度の旅行らしい旅行だった。中の千本が満開なころで、大勢の酔客も気にならぬくらい美しかった。奥の西行庵まで行って、降りて来た時は、風が落ち、夕闇が迫っていた。花見客の散った後の閑散な山上の道は、花の匂いでむせるようだった。
「吉野へ行ったってことは、行かなかったよりいいわ」と葉子はいったことがある。自分を忘れることはあっても、吉野は忘れないであろう。
 二人で吉野に籠ることはできなかったし、桜の下で死ぬ風流を、持ち合せていなかった。花の下に立って見上げると、空の青が透いて見えるような薄い脆い花弁である。
 日は高く、風は暖かく、地上に花の影が重なって、揺れていた。
 もし葉子が徒花なら、花そのものでないまでも、花影を踏めば満足だと、松崎はその空虚な坂道をながめながら考えた。

『花影』(大岡昇平 新潮文庫H10.4.5 39刷)                                 
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 松崎という男が、愛人である葉子(主人公)の家から帰っている際のシーンで、季節は秋である。
 個人的な嗜好だが、こういう前後脈略のない行為、連想によらない情景の挿入、さらにその行為・情景が、その先の話とつながっていかない、切り離されたように突っ立っている情景の描写には惹かれる。
(勿論、あらゆる状況が局面であり、伏線張りめぐらされているのも読後感は良いので、それはそれでありだとは思う。)
 ただ「花影」という言葉が出てきているように、この引用部が小説の核心であるように思うのだが、それを「目前の風景とはなんの関係もない」「映像が不意に浮んだ」として、表現できているのが良いなぁと思う。「なぜだったろう」と深く追求せずに、ただ景色を思い出させて、核心をついているあたりは大胆だ。



 ところで個人的に昔の木山捷平の単行本を集めているが(文庫は販売中)、先述のような描写が彼の作品には多く見られて、だから好きなのかもしれないと思ったりもする。しかも木山の場合は、象徴にもならないただ人間の行動/風景のひとつとして見ることができる。   
 そもそも日常において、あれとこれの行為・物質の間に関連性のない状況などしばしばあるのであって、それをだだ書くことが、「ゆるさ」(坪内祐三)につながっていると解釈もできる。ただ、うまく言えないが、この「ゆるい」という言葉は少し違う気がしないでもない。


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…私は思わず、
「オカノヤーマ」と大声を出して、パチパチ手を叩いた。が、気がついてみると、パチパチ手を叩いたのは、広い館内で私一人だけであった。近くにいた七、八人の客が振り返って私の顔をみた。その顔が、なあんだ、十両どころで手を叩くなんて、ツウではないぞ、と言っているかのようであった。
 私は照れかくしに、ポケットから持参の磁石を出してながめた。…

(『川風』木山捷平『鳴るは風鈴』講談社文芸文庫より2006年6月5日2刷)               
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 同郷(岡山)ということで、自分が贔屓にしている力士の取り組みを観戦した際の情景である。ただ俯くだけでもよかったはずである。しかし「照れかくし」でなぜか「磁石を」ながめるところが、この作家の作風が「飄逸」と呼ばれる所以なのだろう。しかしたとえばこの磁石の存在は作品中この先何の意味性も帯びず、個人的に好きなのはこういう部分である。


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外に出ると、空が薄曇りして、陽がさしたりかげったりする道を、二人は並んで歩いた。十日前に、シゲちゃんを送って行った道である。私はふと、シゲちゃんの姓名は本当は何というのであろうかと思うと、人間は案外知らないことが多いものだと思った。

(『骨さがし』木山捷平『井伏鱒二 弥次郎兵衛 ななかまど』講談社文芸文庫より 講談社2004年3月8日4刷)     
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 ここで一緒に歩いているのは「私」を訪ねてきた女だが、その女を最初女給のシゲちゃんと勘違いしたことで、ここで「ふと」ということで再登場させている。しかしこの話自体にシゲちゃんは関係がなく、また教訓めいた「人間は案外知らないことが多いものだ」という感慨も、この瞬間に尽きていて、話全体の空気としてはこの感慨と関係なく読めるものである。



 そして、同じ木山の本の中で次のようなくだりにあたり、思わず「おお!」となる。(だからどうという話ではないのだが)

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すこし後の話になるが、私が古谷家へ出向くと、先客として大岡昇平がきていた。大岡はスマートな背広など着こんでいたが、すでにへべれけに酔っていた。古谷がこれが木山捷平だといって紹介すると、大岡が滅茶によろこんで私に抱きついた。「お前もショウヘイか」「おれもショウヘイだぞ」「こらショウヘイ」「ショウヘイもっとしっかりしろ」と二人は抱き合ったまま畳の上をころげまわって、危うく階段からころげ落ちそうになった。

(『太宰治』木山捷平『井伏鱒二 弥次郎兵衛 ななかまど』講談社文芸文庫より)                 
                    -------------------------------------------------------*


 話が大幅にそれてしまったが、『花影』は、先の引用部分があるだけで、充分存在するに足る小説だと思う。
 しかし同調共感という点からみると、『花影』の葉子さんには全く思い入れは出来ず、同じ時代の同じような立場(お妾状態)を描いている作品で好きなのは、坂口安吾『青鬼の褌を洗う女』のサチ子さん。退廃ゆえの不思議な明るさが、何とも素敵。私の中で再読すること断トツ、な作品である。






本日、長々失礼いたしました。





Harold Budd/Brian Eno "Ambient 2 The Plateaux Of Mirror"  雑記込

2011.04.08.Fri.18:53
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 今日みたいな雨が降って少しジメジメした時に店のBGMとして意外?とハマったのがコレ。アコースティック/エレクトリック・ピアノを軸にゆったりと展開される音楽なので、自分の中では勝手に夜の音楽と決め込んでいて、一時期は安眠導入音楽のように聴いていて、大体途中で眠ってしまっているので恥ずかしながら実はこのアルバムの全体像は掴んでいなかったのです。なので昼間に聴くという発想がなかったのですが、久し振りに聴くと良いですね。


 ちなみにこれを肴?に読んでいたのは、この前砂の書に行った時に少し話題になった団鬼六のエッセイ集「牛丼屋にて」という妙な組み合わせ。

 
 今日は朝から念願の散髪にやっと行けて、出勤途中に寄った街中の某所で「お疲れ様でーす」といきなり声をかけられて誰かと思ったら、第二期「はんのき」のメンバーになる佐光君でした。




 

ざつねんど。

2011.04.09.Sat.20:10

 紙粘土にて制作中。
粘土をティラノサウルスの型にいれこんで、たい焼きのごとくくっつけ取り出す。
本の処理も何もすることがなくなると、非常に眠くなるので、手を動かすことに。
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 暇つぶし? いえ、こちらがメインかもしれません。

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 「それどうすんの?」と聞かれたので、「おいしそうな色に塗って、箸をつけて食べ物のようにして売るのだ」と答える。よしんばそれがダメでも、ニスをまんべんなく塗って乾かせば、水に浮くとのことなので「お風呂グッズ」としてでも販売しようか、と企む午後。(嘘)



 震災後、前ちょくちょく来られていた方の来店がなかったので、何かあったのかな、と勝手に心配していたら、今日お久しぶりに御来店いただいたので、勝手にほっとする。例のショップカードを、お友達に渡してくれるよう脅…押しつける。

 その後、よく考えたら古本屋に用なんてしょっちゅうありませんわな、と考えをあらためる。


 まだ御来店頂いていない方、一度でも御来店頂いた方、首をながくしてお待ちしております。勿論、こっそり私の中で常連さんと思っている方達も、これからも宜しくお願いいたします。


…などと思いながら、せっせと紙粘土をこね続ける夜。




4月12日(火)は、お休みです。


昨日のような晴天の日は

2011.04.11.Mon.00:44
誰も来ないだろうと思い、Yが休憩中で外に豪遊(主に100円ショップで)しに行っている隙に今日持参した学研大人の科学のアナログシンセで、ピーとかブーなど変な音を出して遊んでいました。とその時、何やら階下から足音が聞こえ、「これが噂の階段や~」みたいな話が聞こえたのでもしや・・・と思ったので、BGMを定番のピアソラにして鏡で鼻毛チェック(最近やたらと奴らが元気なので)などをしつつ身構えていたら、以前に砂の書経由で来店されたお客様がお友達の方を連れて御来店。
 
 連れて来られたお友達の方は奈良でカフェ サンプルの2階でホワイトルームという多目的イベントスペース(主に音楽イベントを催してるそうです)を運営しておられ、今日は京都メトロであるイベントの為に京都にお越しの模様で、わざわざ立ち寄って頂いて有難う御座います。お二人共音楽や本好きな方なので、また次回お越しの時にでもゆっくりお話が出来たらなと思っております。




 引用文の引用ですが、最近ハマっているシオランから一節。
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 「音楽を熱愛することは、それだけでもう、何かを告白しているにひとしい」
                               
                            E.M.シオラン 「告白と呪詛」p212
 

 


 

まったく

2011.04.12.Tue.00:20
困ったもので、今日はもう一つの仕事の方で「旧姓」と漢字で書くところを「旧性」と書いてしまい改めて自分の漢字の能力に愕然とする。結婚してジェンダーまで変わってしもたやんけ、と自分にツッコンでみたり・・・


 漢字と言う事で何故か小島信夫の事が頭に浮かぶ。小島信夫の作品では漢字で書けそうな所をカタカナで書いてあったりする部分が多々あるのですが、本当に忘れたのか、わざとカタカナなのか、中々判別しにくい所でその辺もまた味、なんて思ってしまうのです。と書いてみた所で別に私の漢字の能力なさを正当化するいかなる理由もないのですが・・・

 しかし?、小島信夫の作品は面白いというか異様というか、あっちに行ったり、こっちに行ったり、さっきはなんの話題やったっけ?とか、この文章の主語は誰で、誰が誰に話しているの?等々、読んでいるこっちが時々混乱してしまうような文章で、文法的に不味い部分があっても何故か読めてしまうあたりが流石。適当に書いてそうで、やっぱりあれは計算されているのかな?と思ってしまったり、あの人の文章を読んでからは、こちらの思考回路にも影響があり、文章や言葉の魅力は文法的な正しさだけではないと思わせる何かがあります。あと、あの人の人間を見る目。かなり冷徹に自分も含めた他人を見ているあの視線。エグイです。

 なんか珍しく御託を並べてしまいましたが、一個人の感想なので適当に流してやって下さい。当店にも新潮文庫版の「アメリカンスクール」(初期と中期の短編集)の在庫ありますので、興味のある方は是非。






今日4月12日(火)は、お休みです。



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