月日という名のお客さんから逃げる。

2011.03.01.Tue.22:58
 朝から雨模様で、BGMをMitchell Froomの『A Thousand Days』(私物)にする。ヴィンテージのスタインウェイで奏でられる物語は、誰かのモノローグのよう。曲間のSE?で揺り戻されたりする感も味わいつつ、その世界に浸み入ってゆく。

 しかしこれを繰り返すばかりだと(トータル40分弱)さすがに眠気もちらほらなので、途中でManuel Göttschingの『E2-E4』(売り物)をかけてみたりする。(トータル58分強、ノンストップ)

  個人的には鍵盤の音が好きで、お店などでかかっていたりするとついゆっくりしてしまう。なので、お客さんの滞在時間がのびたりしないだろうか(あわよくば何か買…)、というイヤラシさも少しありつつかけている気持ちも否定できないのだが。
ちなみに普段は、たいていピアソラをかけています。




  夕方、雨もあがったと思われる頃、前にも来店いただいた方がお連れ様と一緒に来られる。私自身は、昔から本を話題にして語らうということをほとんどしないので(なので本の話題をふられると結構緊張する。こういう店主もいるのです。)、本を御覧になって歓談されている様が素敵だなぁと思う。あまり外部にうって出ておらず、お客さんが同時に5人とか6人という状況にはならないので(一度くらい体験してみたくもあるような、ないような)、ゆっくり読書をされていただいて結構だ。

  その方から、近所で販売されていて、前より気になっていたクッキーを頂戴する。厚みがあってしっかりとした味。無くなること秒殺の如し。御馳走様とあわせて、再度の御来店ありがとうございます、です。



  帰りに新刊書店へ。付録なのかそれがメインなのかわからないムック本が増えていて驚く。どこそこで有名なんですよ、のお菓子屋のシェフが教えるレシピとその型がついて何千円、やら美容器具がついてお幾ら、など。はーとかへーとか、やたらハ行感嘆が多くなったのを歳のせいだとは思いたくない。と思っていたらもう3月で、私の部屋にはまだ去年のカレンダーがかかりっぱなしであったりするわけで、そういえばまた誕生日を迎えるのであって、これはやはり「百代の過客」(芭蕉)から逃げているのかもしれない。





  昨日のタイトル「Y・M・O」は、「やっぱり間違えて覚えていたか」の方がよかったかもしれない、などとどうでもよい事を反省。






Manuel Göttsching "E2-E4"

2011.03.02.Wed.18:03
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オリジナルリリース1984年。 当店在庫品は1992年、SPALAXからリリースの再発輸入版。


昨日話題?になったのでご紹介。

元アシュ・ラ・テンペルのギタリストでもあるマニュエル・ゲッチングのソロアルバム。全1曲約59分となっていますが、一応9つのセクションに分かれていてそれぞれタイトルもあります。

ほとんど変化しないのではないか?と思えるようなリズムボックスをベースに、シンセサイザーやギター等を絡めていって、激し過ぎず、静か過ぎず、一定のテンションをキープしながらひたすら反復していく展開を聴いていると、ふと違う場所に辿りついちゃった、とでも言うような感覚になる名作です。




「バイバイ」にもの思う。

2011.03.03.Thu.00:00


  「バイバーイ」
逢魔時の公園で、子供が叫んでいた。大きな声の「バイバイ」を子供たちはよく言う。大人になれば「さようなら」「「しつれいします」「お先です」「また明日」などなど、か。

  そして私は、幼少期「バイバイ」という言葉が苦手であった。苦手というのか、正確にいえば恥ずかしくて自分からは絶対に言わないお別れの挨拶であった。それを気取った言葉だと思っていたのかどうかはわからないが、「じゃぁね」や「またね」「さよなら」の方が使いやすいと思っていた。勿論向こうが使えば「バイバイ」を言う。しかしそのあと、言い知れぬ恥ずかしさに襲われてしまうのが常であった。無邪気さに欠ける、問題のある子供だったのかもしれない。

  大人になって(精神的には未成熟ですが)深夜にかけてモゴモゴと長電話をする。大体話すことと云えば、大したことではないが、決して底抜けに明るいものでもない。このあたりかな、と話の終わりがくる。「おやすみなさい」の言葉に色々な思いでほっとする。ところが時に、そのあとに「バイバイ」と相手から続くことがある。或いは単独の「バイバイ」。
  はっとして、しかし「(お互いいい歳なんだけどな)」と思いつつも、照れながら同じようにはっきりと私も続く。それには幼少期の、幾分かのきまり悪さを含んだものとは違う、嬉し恥ずかしさとでもいうような感情がある。もしかしたら私は、幼い時分の無邪気さとでもいうべきものを、無理だと知りつつも今ここで取り戻そうとしているのかもしれない。



  休憩の帰り道、また焼き芋を買う。行儀が悪いと思いつつも、頬張りながら歩く。こういうものはいちいち行儀の悪さを気にしいしい食べる方が、いっそおいしいのだ。


  手元にある「現代歳時記」(金子兜太他編 たちばな出版)で調べると、「焼藷」は11月の季語らしい。ちなみにこの語の周辺には、鯛焼、焼き鳥、湯豆腐、雑炊、鍋焼、すき焼、寄鍋、おでん…とあり、こう並べてみるだけでお腹がすく。皆「焼藷」とは季語仲間の様子。良い仲間たちだ。




  トリペルの古本フェスの効果?が地味に出つつあるのか、ぽつぽつとトリフェス経由の方を知る。昨日のお一人の方も、そうであった。狭いところで、ゆっくりしていただけたのだろうかと気になる(何しろ同時期に出された実店舗ありの方々のお店は広い)が、仕方ないもんねといつもの調子で開き直ってみたりもする。(でもゆっくり御覧いただいていいたようなので一応安心)勿論どういう経緯で来店されようと、薄暗いビルの5階までわざわざあがって来ていただける皆さま、本当にありがたいことです。


機会。

2011.03.04.Fri.23:23
  昨日はYが服でお世話になっているcucciaのオクダさんが和装にて御来店。いつもは私も見知った自社製品をお召なので、ひょいと来られた時に全く気付かなかった。お休みの日だったということで、着物で街歩きをされている模様。
  時間と福沢先生の都合がつき難く、なるべく、というかこの数カ月cucciaのHPを見ないようにしていたのだが、ブログを始められた、ということでKがサイトを開いてしまった。そこには新作の素敵なお召物が…。我慢が緩み、欲望が堰をきったようにあふれだし、ただ「欲しい、欲しい」を繰り返す私。誕生日もあることだし、お店に行くとする。
  今年は映画「ひなぎく」がテーマとのこと。去年の春夏は「セリーヌとジュリーは舟でゆく」(1974 仏)という映画であった。

  ちなみにオクダさんの本の好みを聞いて二人とも吃驚。20代にしては渋すぎる趣向の持主で、あるひとりの作家など私の周りでは、名前を知っていても、多分誰も読んでいないだろう。でもこういう(単純に驚く)感覚は大事なのだなぁと思う。もしかしたら間違っている方向に行こうとしていたのを、引き戻されるとまでは云わないが、立ち止り考えさせるような機会であったかもしれない。私は「こういう作品はねぇ…」などと言い出したら終いだと思っている。(←うまく言えてませんが、これ以上書くとドツボにはまりそうなのでこのへんで…)




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  本日は、私にしては珍しくお客さんと長話をしてしまい、書こうと思っていたことが頭の中から跡形もなく消え去っていた。ので、写真でごまかす。午後3時過ぎの陽光。本棚までは届かないので本には問題なしだが、カウンターに座っている身分には殺人的な睡眠薬。



  夜は昨年出版された、『俺の後ろに立つな―さいとう・たかを劇画一代』(新潮社)を読む。若かりし頃、さいとうがいた「劇画工房」の仲間で、後さいとうプロのスタッフとなった「石川フミヤス」の役を某自主映画にて演じたKに「ほら、ここに名前が出てるよ」と見せると、自分のことのように懐かしんでいる。
 自主映画は本当に大変だ(監督自ら「ウチの現場は、自主の中でも最低」と仰られる)ということがよくわかる経験をさせてもらった。(しかし楽しかった)
 貸本時代の漫画誌『影』(日の丸文庫)なども、こんな機会でもなければお目にかかることもなかったであろう。



 本日は、知り合い以外で初めてうら若い女性がお見えになったとの事。(Y休憩中)
 喫茶店回廊のマスターが声をかけてくれているようだ。ありがたい話だ。そして、その話だけでわざわざ来ていただいたお客様も本当にありがとうございます。




Basic Channel "Basic Channel"

2011.03.05.Sat.16:44
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オリジナルリリース1995年  当店在庫品は2005年再発デジパック仕様


ベーシック・チャンネルについては以前紹介した事もあるのですが、もう一度。
ドイツのベルリンにあるレコード店ハードワックスのオーナーでもあるマーク・エルネツスとモーリッツ・ヴァン・オズワルドのデュオで、90年代の電気音楽/テクノの中でひとつのスタイルを築いた人達として残ると個人的には思っています。

アナログレコードだけでリリースされていた作品をメインに、シングル集という感じではなくCD用に編集し直してコンパイルされた一枚で、前回紹介した"E2-E4"のリメイク作も含む全11曲入り。
アナログ機材特有のノイズも上手く音色に取り入れ、そのザラッとした質感が何とも言えずカッコ良く、明るい時間よりも夜に似合う音です。是非。





☆3月14日(月)はお休みにさせて頂きます

マーガレットという名の男。

2011.03.07.Mon.06:45
 昨日はやや遅めの出勤にて階段をあがっていくと、Kがひょいと現れて3本の指を出す。これは、中にお客さんが3人いますよ、という合図なので、いそいそと駆け込むと知合いの顔が。大阪は天六にて文化喫茶マーガレットという名のたこ焼き屋を営むS木君と、一緒にこられたであろう方々が思い思いに本を拡げて御覧になっているではないか。いくら知合いとはいえ、開店早々に三人も来てもらえるなんて嬉しいな、とお喋りしながら準備をする。


 そのうち、一人の方が「これをください」とカウンターに本を持って来られる。

 ?????

 商品をお渡しすると、その方は帰って行く。

 あれ?????

 「S木君、一緒に来られた人と違うの?」「違いますよ。」「違うで」とK。


 主にS木君と私の周囲を顧みない大声によるおバカなトークにもにこにこと笑ってくださっていたので、私はてっきり皆お仲間だと、ひとり早合点をしていたのである。いつものそそっかしさ発揮である。せっかくの貴重なおひとりでの御来店のうら若き女性のお客様に、悪い印象をあたえてしまったかも、と反省。

 今度は粗相のないようにいたしますので、これを御覧になっていたら是非またいらしていただきたいです。


(先日の日記で初のうら若き女性、と書きましたが、カップルという形ではお越しいただいているので、正確に言うと「初のひとりで来られたうら若き女性」ということです。)


 その後も、具体的な数字による生生しい話などを繰り広げて、S木君とお連れの女性の方(世間はよく出来たもので、しっかりした方。S木君がまるで駄目、というわけではないのだが)は帰って行かれた。S木君のことをなんだかんだ言っておりますが、関西ジャズ情報のフリーペーパー『WAY OUT WEST』にコラムを執筆したり、ギター、バンジョー等も弾きこなす才能ある男なのです。(あと、たこ焼きを焼く能力もか!?)


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                  S木君、当店のアラを必死に探す之図。



 天気予報を鵜呑みにして、自分の感覚で探るということをせずにいると、昨日のような裏切りの雨。でも裏切る裏切らないなど、所詮一方の思い方の問題。すまないねと思いつつ、雨に濡れた洗濯物を取り入れる。


 便利なので『現代歳時記』(金子兜太他編 たちばな出版)を再度登場させる。(実は売り物です)
この本から、季語が春雨の一句を。

春雨や小磯の小貝ぬるゝほど     与謝蕪村


 他に3月では…。


われら永く悪友たりき春火鉢     高柳重信


情緒が全くなくて申し訳ない程だが、私の場合は電気ストーブ。この悪友はこの冬、低温やけどという名の友情の印を、私の体じゅうに刻みつけた。


沈丁花どこかでゆるむ夜の時間    能村登四郎


鼻の中に湿り気を帯びた空気が入って、それが留まる様な感を覚えると春なのだ、と思う。だから沈丁花に限らず、であるが、この留まり感のある湿り気のせいで、私は本当の花の香りと云うものをわかっていないのではないか、とも思ったりする。




 3月14日(月)は、お休みします。

雑記。

2011.03.08.Tue.05:25

 昨日はKが仕事休みで朝から来てくれていたが、正直な話、月曜日はソレほどにアレなので、書肆砂の書へお使いに行ってもらうことにする。ヤセンスキーの作品が収録されている全集があるということで、それの購入と『スゥイート・ムービー』の返却をお願いする。(汚い字のお手紙つき)
 その間、私は本の処理でもしよう…としていたら、グラシン紙がなくなり、あえなくストップ。手元にあった唐沢俊一で、ヤセンスキーを待つ。(雑食です、ホントに。)

 数時間後、充実した表情のKが戻ってくる。色々面白い話が聞けたんだろうな、と思うと羨ましい。「そんなら、アンタ行ってきーな」と言われたりするのだが、人見知りというのか恥ずかしがりというのか、そういう性格なのでなかなか。「そんなことないでしょう?」と言われそうだが、そんなこと大いにありなのであって、正確に言うと「腹の底が人見知りする」という感覚なのだ。でも寺井さんのお話は聞きたい。端っこの方、緞帳の陰に隠れて。




 懲りずに『現代歳時記』(金子兜太他編 たちばな出版)。売れるまで続けてみようかと思ったりも。ちなみに「春場所」も季語なので、中止となった今年はどんな句が作られるのだろうか…。(私には俳句の心得はないので、他人まかせな話ですが)


まんさくの咲いてころころ水の音      赤松子


踏青の青にまみれし一壺天         河野多希女


てのひらを雲の流るる春の山        原裕






 夜明け前、考え事をしていて、ふと高校時の校訓「和而不流」(和して流れず)がよぎる。全く戻りたい気持ちなどないが、確認するように心に留めることに。






たいやきくん考。

2011.03.09.Wed.07:41

  我が家はTVが「TVの部屋」にあって、といっても何も特別な物々しい部屋ではなく、単純に「TVが置いてある部屋」なのであって、敢てそういう言い方をしてしまうくらい、基本的にTVは観させてもらえなかった。(今は建替えて、居間にあります。←ギャグではない)


 ある日の朝、珍しくTVがついていて、音楽が流れてきたので、幼稚園に行く準備をしていた私は画面に釘付けになった。

 歌は、毎日毎日、鉄板の上で焼かれているたいやきが海を冒険する、という「およげ!たいやきくん」である。画面の文字を追いながら、冒頭から私はつまずいてしまった。
 毎日焼かれて「いやになっている」ということは、それを思っているのは同じたいやきなのだろうか。そのうち「たいやきのぼく」は店のおじさんと喧嘩をしてしまう。ということは、これは売り物のはずであるが、売れていなかったのか。そんな馬鹿な。
 たいやき仲間の代弁者、あるいは物語る存在としての「たいやき」と、喧嘩して海に逃げ込んだ一個の「たいやき」の視点が混在して、立脚点をどうしたらよいのか。(勿論こういう明確な言葉での疑問ではなかった)
 そして、そのようなことを考えて混乱してしまうゆえ、たいやきくんが海の中を泳ぎまわるくだりはほとんど聴いていないも同然で、最後に彼?は釣られて食べられるわけだが、ここでも疑問が。大体、魚釣りに来て、たいやきが釣れても普通は食べないだろう。そもそもふやけてしまっているんじゃないか。おいしくないのではないか、云々。

  ショッピングセンターのフードコーナーで買ってもらう薄紙に包まれたたいやきと、歌のたいやきくんは、幼い私にはギャップがありすぎた。
  言ってしまえば、ファンタジーをファンタジーとして解せなかっただけの話ではあるのだが、今でもこの歌を聴くととても不思議な気持ちになる、というのかまっすぐに聴き流せない自分がいる。成長していないということか…。
        

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たいやきくんについて考えている…かどうかはわからないが丁度その頃。虫でも追っていたのだろうか…なところをフォーカスされた。(撮影:幼稚園関係者)





  余談になるが、たい焼きをはじめとする包む系食べ物は、一般的に中の具材が詰まっていればいるほど好評のようであるが、個人的には真逆で、少なければ少ないほどよかったりする。私は具材を包むカワが好きなのだ。
 といって、カワだけではその料理にならないので中身は必要なのだが、アクセントになるくらいの量で結構。包む系食べ物は中身の分量までオーダーできたらよいのに、と思ってしまう。同じような嗜好の方は、かなりの確率でいるのではないかと思われるのだが。





  昨日夕方過ぎ、古書ダンデライオンさんが来店される。読みたい本があった模様で、そのご購入の為にわざわざ、である。本がたくさん詰まった噂のカートと(これまた何やらたくさん詰まってそうな)リュックを抱えて5階まで上って来られるのだから、本に関する愛情(執念?)並々ならぬものを感じる。それなのに、この爽やかさは一体どこから来るのだろうか。この日も一日本屋巡りをされていた模様で、カートはいいですよ、と言われる。説得力があるので、なんだか欲しくなってきた。



3月14日(月)は、お休みです。


今日はYが

2011.03.09.Wed.23:20
詩の本について、何度か来店して頂いてるお客様に店内の本をひっくり返してアレコレ。端から見てても、待ってました!といった感じで、「すごく思いの詰まった本棚ですね」との言葉も頂戴する。長々とスミマセンでした。


 詩といえば・・・な私ですが、以前普通のノートを買った時にYに「ポエムでも書くんか?」と聞かれた事があり、なんでノートを買ったら即ポエムを書くなんや?と思った事があり、その時の返事は「別に~」といった感じで流したような。

 本を読んで気に入る言葉があると線を引きたくなるのですが、線を引いてしまうと再読時にその線を引いた所に引っ張られるのが何か嫌で、こんな所に線を引いてたんや~と思うのも悪くはないのですが、それよりも毎回新たな気分で読みたいので気になる言葉はノートに書くようにしていて、その為のノートを多分その時に買ったのかと。


 本に線引きと言えば、いつも思い出すのが作家の保坂和志氏。どこで読んだか忘れましたが、なんでも保坂さんはカフカの「城」を何度(たしか5~7回ぐらい)も買い直していて、その理由は毎回読む度に線引きがイッパイになってしまい、再読する時はまた新たに購入するとのことで、すごい読み方しておられます。
 たしかにカフカの「城」は凄い小説で、私自身が初めて小説の面白さを知ったと言って良いぐらいの本で(大した小説を読んでいなかっただけの話かもしれませんが)、もし未読でしたら当店にも在庫ありますので是非。





3月14日(月)は、お休みです。


地震。

2011.03.11.Fri.22:30


   連日の申告用の計算などもろもろのピークが昨日の夜(今日の夜更け位)で、でもまだあとふた山ほどあるのだが、それでも嬉しくなり起きてしまっていたので、本日は眠いのなんの、であった。

  「すみません」の声にはっ、と気づく。お客様でした。
そして私は、カウンターの中で椅子を二つ並べて横になってしまっていた。


 何事もなかったかのように?本を選んでいただいていると、ゆるやかな揺れが。
「地震ですよね」「そうですね」

 前にも揺れがきたときがあり、その際は本が動いてしまうほどだったのだが、今日の揺れは本は動かないので軽いものかな、と感じてしまう。しかし横揺れはしつこく続き、生まれてはじめて地震の揺れで少しくらくらする感覚を覚える。

 念のためガス栓を閉める。下の閉まっている階のシャッターが不穏な音を刻んでいた。


 Kが来てから被害情報などをチェックする。K職場は全く揺れを感じなかった、という。映像でみると甚
大な被害が出ているようだ。二次、三次の被害もこれから出てくるのかもしれない。 東京の知人友人たちのことも気になる。

そして被災地の方々、お見舞い申し上げます。



 京都は、月の光が鋭いほどに、空が透きとおっている夜だ。


3月14日(月)は、お休みです。